流れ星に出会えますように
今年の「しし座流星群」、11月18日の未明にピークを迎えます。1時間に30個くらいか?との寂しい予想(朝日新聞2009年11月15日の記事より)ですが、流れ星を狙って見てみるチャンスです。これに関連して、去年、とあるところで執筆したエッセイを掲載します。
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流れ星に出会えますように
星に願い事をする習慣は、もともと日本にはなかったものだと思われる。日の出、日の入りや、月の満ち欠けを基準に、時刻や暦を設計していたからである。
もちろん、日本人に星を愛でる気持ちがなかったわけではない。むしろ正確な方角を知る必要のあった、大陸の遊牧民のような人々のほうが、より注視していたはずである。星座の設定や季節ごとの星々の配置、また語り継がれる神話など、人々の生活と星とが密接な関係であったことが、西洋の星占術に色濃く反映されている。
「流れ星が流れる間に三回願い事を唱えると、それがかなう」
そんな伝承が日本に根付いたのは、おそらく太陰暦から太陽暦に切り替わった明治以降のことであろう。
近年、流星群観測に注目が集まるようになった。それは一九九九年秋に見られた、しし座流星群の大出現がきっかけであるといわれている。
流れ星の正体は、スターダスト、すなわち彗星が宇宙空間に放出した塵(ちり)である。塵の漂っている空間に、公転運動を行っている地球が突入してゆく。すると必然的に塵は地球の大気圏内に進入することになり、燃え尽きる。その際に放つ光が流れ星なのである。夜空に輝く星、つまり自ら光を放つ恒星が流れるわけでは決してない。
塵の範囲や地球の公転などを計算し、毎年の出現の規模や時刻を正確に予測的中させる学者もいる。漆黒の夜空から、多いときには一時間に数千から数万個の流れ星が降り注ぐ。圧巻である。
昔の人は不幸の前触れと感じたに違いないが、現代人は願いたい欲求が先である。しかしこうも数が多すぎると一つの流星に集中できす、どうもありがたみが薄い。
冷静になって考えてみよう。一つの流れ星に願い事を唱えることを試みるも、流れ星はまさに文字通り「あっ」という間に流れ去ってしまう。願い事をたった一回言うのも難しい。
より長く光り続ける流れ星を望むならば、彗星が落としていった塵がより大きくなければならない。しかし、限度をこえるとそれはもはや流れ星というより、「隕石」落下現象になってしまう。
誰が言い出したのかは不明だが、流れ星が流れる間に三回願い事を唱えるなど、ずいぶん高度な要求をしたものである。
本来、流れ星を見かけるのは稀である。その上いつ出現するのかも予想できない。ならば見たときに、スムーズにかつスピーディーに唱えられるように、普段から願い事を唱える練習をしておこう…なんてことをしているうちに、願い事なんて自然にかなってしまうものだよ、流れ星とは無関係に…と解釈するのは、夢のない考え方かもしれない。
ともあれ、実際に流れ星が見られたときには(三回唱えられるかどうかは別として)、私はこう願い事をすることに決めている。
「また、美しい流れ星に出会えますように」
(安田和宏)
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