おおきなじしん
おおきなじしん
ぼくがほんだなをせいりしていたとき、ぐらっときた。ずっとゆれがつづき、あたまのなかがまっしろになった。「とまってくれい」とちいさくさけんでも、そのゆれはとまらない。
ほどなくでんきがきえた。うえのほうから、たくさんのほんがばたばたとおちてきたとき、ようやくへやはしずかになった。ひるまなのに、とてもくらくなったようにかんじた。
てれびはとうぜんみられない。けいたいでんわのあんてなも、いっぽんもたたない。がすやすいどうは、かろうじてとおっているみたい。でもしんぱいだな。かいちゅうでんとう、でんち、らじお、まっち・ろうそく、かいろをかくにんしよう。
がたっというおとがした。よしんはかならずくる、とおそわっていたのでかくごはしていたが、これもおおきかった。こんどはつくえのしたにもぐって、ひたすらまった。「ごめんなさい」とあやまってみた。そうしたら、ゆれはさっていった。
よる。ふしぎとおなかはすかない。でもなにかたべなきゃ。まめでんきゅうのあかりのもとで、ひじょうじようのごはんとたくあんをたべた。あまりおいしくない。それはそうだよな、まず、さむかったんだもの。
ひにひに、よのなかがたいへんなことになっていることに、きづかされる。でんきがときどきとまっても、がそりんがなくても、あかるいことがおもいうかばなくても、かならずよがあけて、あさがくる。おひさまがこうこうとてらしてくれるこのひを、どうすごせばいいのかしら。
なにかとくべつなことをはじめるのではなく、いまのぼくのしめいである、おしごとをしっかりとこなそう。そして、ほこりをもってやりつづけよう。いまこまっているひとにたいして、これからたいへんになるちいきにとって、それがきっといちばんよいことなんだ。
こころのなかに、そんな「じしん」がめばえた。そして、これまでのあたらしいとしのはじまりとは、ずいぶんちがうきもちになった。
(やすだ)
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