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2011年4月 2日 (土)

おおきなじしん

おおきなじしん

ぼくがほんだなをせいりしていたとき、ぐらっときた。ずっとゆれがつづき、あたまのなかがまっしろになった。「とまってくれい」とちいさくさけんでも、そのゆれはとまらない。

ほどなくでんきがきえた。うえのほうから、たくさんのほんがばたばたとおちてきたとき、ようやくへやはしずかになった。ひるまなのに、とてもくらくなったようにかんじた。

てれびはとうぜんみられない。けいたいでんわのあんてなも、いっぽんもたたない。がすやすいどうは、かろうじてとおっているみたい。でもしんぱいだな。かいちゅうでんとう、でんち、らじお、まっち・ろうそく、かいろをかくにんしよう。

がたっというおとがした。よしんはかならずくる、とおそわっていたのでかくごはしていたが、これもおおきかった。こんどはつくえのしたにもぐって、ひたすらまった。「ごめんなさい」とあやまってみた。そうしたら、ゆれはさっていった。

よる。ふしぎとおなかはすかない。でもなにかたべなきゃ。まめでんきゅうのあかりのもとで、ひじょうじようのごはんとたくあんをたべた。あまりおいしくない。それはそうだよな、まず、さむかったんだもの。

ひにひに、よのなかがたいへんなことになっていることに、きづかされる。でんきがときどきとまっても、がそりんがなくても、あかるいことがおもいうかばなくても、かならずよがあけて、あさがくる。おひさまがこうこうとてらしてくれるこのひを、どうすごせばいいのかしら。

なにかとくべつなことをはじめるのではなく、いまのぼくのしめいである、おしごとをしっかりとこなそう。そして、ほこりをもってやりつづけよう。いまこまっているひとにたいして、これからたいへんになるちいきにとって、それがきっといちばんよいことなんだ。

こころのなかに、そんな「じしん」がめばえた。そして、これまでのあたらしいとしのはじまりとは、ずいぶんちがうきもちになった。
(やすだ)

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